思う感じる考える

思考・感想・考察のいずれか

無視することもまた一つの能力だと思う

 ツイッターでは日々誰かが誰かのツイートを晒上げていることが多い。晒しという行為が良いか悪いかの判断は難しく、こういうことがあったんだよねという報告として晒す人もいれば、こんな悪い人がいる!とまさしく晒す人もいる。その一つ一つに共通していることは、晒した人はその晒したツイートを無視することができなかったということにある。

 

 ツイッターに限らずインターネットを利用していれば変な人や、変なことに遭遇することはある。それらに毎回対処していれば心や体は疲労してしまう。変な人、ことに遭遇したらスルーするのが一番だと私は思うし、できるだけスルーするようにしている。

 しかし、ツイッターのタイムラインには晒しツイートがRTされてきて、それを少しでも見てしまうと心が動かされてしまう。自分もRTして不平不満を言ってしまいたいという想いにかられる。実際にRTして思うことをツイートすることもある。それでもできることならそういった知らなくても良い情報はスルーしたほうが良いだろう。

 今日読んだ本にこんなことが書いてあった。

私たちの心は、注目することは得意だが、無視することは苦手なのである。何かを気にしないようにするためには、何を気にしないようにするのか、その対象を心に留めておかねばならない。 

『パフォーマンスがわかる12の理論』

  嫌なことがあった場合、無視するのが一番だ。嫌なことを思い返してイライラしても仕方がない。それなら楽しいことを考えたほうが心も体も疲れない。

 それなのに今の人たちは、負の感情を晒しという行為で発散しているように感じる。自分が負の感情を抱いたのだから、みんなもきっと同じ気持ちを抱いてくれるだろうといって晒しているようにも感じる。感情の共有はコミュニケーションの一つとして大切なことだとは思うが、こんなことがあったんだというのはわざわざネットで晒さなくても思うのだが、今の世代の人は違う価値観なのだろうか。

 晒すという行為は昔からあったとは思うが、今はネットの時代。晒したものがいつまでも残り続けるのは正直つらい。忘れられる権利がないがしろにされているような気がしていつも晒される恐怖を無意識の中にいれて今日もわたしはツイッターをする。

 おしまゐ。