思う感じる考える

実験的なところ

情報過多で死ぬ時代

 平均寿命は毎年のように記録更新され、人生100年時代ともいわれる昨今。人はどこまで長生きするのだろうと思う反面、なにで死んでいくのだろうと感じる。昔は栄養失調や不衛生で病気にかかり早くに亡くなってしまう人がいた。今後は長生きが可能になったが、結局は病気にかかって死ぬ人がほとんどだろう。死因一位はがんだし。がんになる原因はさまざまだけど、やっぱりストレスはあるだろう。ストレスの原因もまあそれぞれだし、たぶんストレス一位は人間関係かなと思っているけど、ストレス要因の一つに「情報過多」があると感じる。昔の人たちが1日に得ていた情報量の何十倍何百倍の情報を毎日手に入れることができる時代。作業効率も昔に比べたら遙かによくなっていて、にもかかわらず仕事の時間は変わらない。そうやって情報処理をする量が増えた時代、人々は情報に殺されるんじゃないだろうか。

 少し前に自然と脳に関する本に、なぜ自然に身を置くことが身体に良いのかという一つの答えとして、自然を見ることは脳にかかる負荷が少ない、つまり情報処理しやすいからというのを見かけた。それがどこまで真実かはわからないけれど、自然、特に森の場合は基本は葉っぱの緑か土の茶色の二色ぐらいで、色の処理は少なそうだ。都会に行けば看板が多くタテ並びカラフルでしかも文字がたくさん並び、商品も溢れていて、それらを見分けるのに脳は多くのエネルギーを使っていることだろう。

 こうして情報があふれた世界において、人々は脳の情報処理を無意識に常に行っていて、負荷が増しているのかもしれない。その結果、無意識のストレッサーが増えて、人々は情報過多によって健康を損なっていくのではないかと、ふと思ったのである。今の20代後半から30代前半の人たちは、ネットの進化とともに成長し、ネットの使い方を学んできた。しかし、今の子供たちは成熟したネット文化から入っていかなければならない。それがどういった結果をもたらしているかはお察しの通りで、炎上が多いのなんの。昔も炎上に似たようなことは各地で起きていた。それが炎上に繋がらなかったのは、画像や動画を載せられるネット社会じゃなかったのもあるけど、多くの人たちがネットに繋がっていなかったからだろう。炎上したがために、永久的に名前がネットに残ってしまうこともある。コンビニのアイスケースに入った人や、バイト中におふざけ動画をあげて問題になった人も、たぶん検索すればすぐ名前が出てきてしまうだろう。そういう意味では情報によって既に人は殺されかけているのかもしれない。忘れられる権利というものが登場するのも当たり前の流れかもしれない。

 情報は便利だけど、人はまだその使い方をよくわかっていないのかもしれない。