思う感じる考える

実験的なところ

公園の近くに住む魔物

 これはまだ私が小さい頃のお話。小学生の遊び場の一つといえば「公園」。近くに小さな公園があったので友達とよく遊んでいた。その公園は山を削った場所にあったので高低差があった。それを解消するために階段や坂も多くあり、中央には大きな白い滑り台があった。白いといっても、時間の経過とともに汚れが目立っていて今見ると白にはどうも見えないのだが、記憶の中では真っ白な坂だった。その滑り台よりも滑らかな坂道が横にはあって、自転車で下るのが気持ちよかった。その坂道の思い出の話。

 ある日の事。いつものように友達となにかして遊んでいた。私は手に木の棒を持っていた。公園には木が多く生えていて、生えている木の枝を折ったのか、最初から落ちていたのかは覚えてないが、当時の私の身長よりちょっと短い、1mちょっとの木の棒は小枝ではなく少し太かった。杖みたいな感じだろうか。小さいころはよく木の棒を振り回していた。それがなんだかかっこよかった。その木の棒を持ちながら友達と遊んでいたが、遊びが変わったのか、もう帰ることにしたのか、詳細は覚えていないのだけど、坂道に持っていた木の棒を置きっぱなしで行こうとした。元あった場所においておけばいいのだが、早く友達の元に行こうとしてその場に置いてしまった。そうして坂道を登っていたら声をかけられた。

 声の主は公園から道路を挟んだ向かいの家のおじさんだった。おじさんは私に「ちょっとこっちに来い」だったか、とにかくおじさんの元に行く私。するとおじさんは「木の棒をあんな坂道に置きっぱなしにしたら自転車が通るとき危ないだろ」と注意してきた。言っていることは分かったが、おじさんの怒鳴り声にびっくりして私はとりあえず木の棒をどかしてそのまま無言で家に帰って部屋で号泣した。友達も一緒についてきてくれて色々な声をかけてくれたような記憶がある。

 その一件以来、私はその公園に行くのをやめた。その出来事があったからではないだろうけど、家で遊ぶゲームに熱中した。今思えば、あの出来事がインドアに拍車をかけたのかもしれない。

 そしてもう一つ。これは中学生か高校生の夏の話。中学のみんなで花火をしようという話になった。花火の前にご飯を一緒に食べたような気もするが、とにかく夜8時ぐらいだろうか、とある公園にみんなが集まった。その公園は先ほどの公園とは違うところだが、同じく住宅地に囲まれた場所にある公園。きちんと火を消すバケツを持参し、ごみ袋も持って遊んでいた。というか先生もいた。だから無茶をするようなことはなく、思い思いの手持ち花火でわいわいしていた。すると、どこからともなく人がやってきた。おじさん一人だったか、夫婦だったか記憶にないんだけど、先生が「どうかしましたか」と聞いたら「公園で花火をするな」と言ってきた。当時は公園にマナーに関する看板みたいなのはなくて、けっこう自由。もちろん花火禁止なんてこともなかった。それなのに「花火はうるさい」「後片付けしていかないんだろ」とかなんとか言われていた。片付けるという話になってそのおじさんは去っていったけど、私たちには不満が残った。

 公園というのは良くも悪くも人が集まる場所。最初にあげた話は確かに自分が木の棒を置いていったのがいけないなと思っているけれど、公園の花火については今でも悲しいと思う。遊び場を奪われる感覚。

 公園は賑やか。これは良いことだろう。でも公園がうるさいに変わってしまったのだろうか。公園のそばに住む人はどういった理由で選ぶのだろう。公園がそばにある。いいじゃない。なにがいいんだよ。ってふと思う梅雨の日。